■清盛に殺された西光の子
平家物語に近藤六親家と名乗り登場する。阿波国板西の住人で板西氏の始祖。藤原師光(西光)の六男とされる。父・師光が1177年の鹿ヶ谷事件で殺されると阿波国へと流された。その後は平家に従属していた様子である。1185年2月屋島の戦いのため、勝浦に上陸した義経軍の前に平氏軍が立ちはだかる。これが近藤親家の軍で、少し戦った後に伊勢義盛に説得され降伏する。以後は義経の案内役を努め桜庭能遠を破るのに協力した。
この親家だが、板西氏の歴史を辿っていくと周家と記されていることが分かる。平氏滅亡後も義経に従うものの奥州へ落ち延びる際に別れ頼朝へと降った。その後、信濃国飯田郡を治めるようになり板西氏に改める。現在でも飯田周辺の名所では板西氏の名を聞くことができる。 |