著作権について
当ホームページに掲載されている製品名、製品画像等は、各社の登録商標、商標です。
源平合戦は現・株式会社コーエーテクモゲームスの商品です。
 トップメニュー>登場武将一覧トップ>頼朝に味方した地方の有力者
 
 

名前をクリックするとプロフィールに飛びます。
・那須資高 ・那須与一 ・武藤資頼 ・安摩忠景 ・宇都宮信房 ・宇都宮朝綱 ・八田知家
・中条家長 ・工藤祐経 ・宇佐美祐茂 ・宇佐美実政 ・山田重隆 ・葉山宗頼 ・草野永平
・草野定康 ・春日貞幸 ・小野寺道綱 ・近藤親家 ・内藤盛家 ・小野成綱 ・園田成重
・渡辺眤 ・橘兼隆 ・太田光家 ・船所政利 ・富樫泰家 ・富樫仏誓 ・安芸実康
・安芸実光 ・安芸次郎 ・宇奈木遠隆        

那須 資高 (なす すけたか)?-?
 那須太郎資隆。下野の在地領主。与一宗隆の父で、太郎と称す。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
56 60 43 42 47 42 42 76
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
那須 与一 (なす よいち)
名は宗隆。弓の名手で、屋島の合戦のおり、扇の的を見事に射る。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
12 42 9 35 32 91 65 85
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
武藤 資頼 (むとう すけより)
筑後守、太宰少弐。武藤の人。頼朝に仕え、太宰府を統括した。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
78 52 59 22 57 77 38 63
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
安摩 忠景 (あま ただかげ)
阿波の人。源氏に与して上京するところを、平教経に阻まれた。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
68 58 41 30 52 37 44 65
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × ×      
トップへ戻る
宇都宮 信房 (うつのみや のぶふさ)
大和守・蔵人所衆。頼朝に従う。鬼界ヶ島の平氏残党を討った。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
52 75 39 34 60 50 41 72
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
宇都宮 朝綱 (うつのみや ともつな)
大和守。頼朝に従い志太義広を討つ。平氏残党の追討も行う。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
66 65 47 41 53 62 39 72
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
八田 知家 (はった ともいえ)
右衛門尉・筑後守。下野の豪族で、幕政に重きをなした。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
69 82 37 45 55 78 23 71
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
中条 家長 (なかじょう いえなが)
武蔵の人で、八田知家に養われた。一ノ谷では範頼に属す。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
52 61 22 22 54 73 29 50
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
工藤 祐経 (くどう すけつね)
左衛門尉。曽我祐成・時致兄弟に、仇討ちされた人物。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
56 63 70 32 34 30 32 69
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × ×      
トップへ戻る
宇佐美 祐茂 (うさみ すけもち)
右衛門尉。工藤祐経の弟。頼朝の挙兵に応じて参陣している。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
52 72 23 42 55 65 39 64
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
宇佐美 実政 (うさみ さねまさ)
伊豆の人。頼朝に従い奥州征伐に従軍。由利八郎を生け捕った。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
53 72 35 28 53 54 37 69
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
山田 重隆 (やまだ しげたか)
左衛門尉・佐渡守。幕府御家人、公領侵害を企て院使と抗争。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
42 57 26 31 53 52 32 56
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
葉山 宗頼 (はやま むねより)
安芸国の大名。奥州攻めに従軍せず、所領を没収される。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
60 66 29 24 53 54 38 74
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
草野 永平 (くさの ながひら)
筑後の人。源氏に与して筑後国在国司・追領使を安堵された。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
68 60 58 21 61 61 51 59
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
草野 定康 (くさの さだやす)
近江の人。平治の乱に敗れた源義朝を匿い、美濃へ逃がした。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
68 72 54 32 80 66 48 70
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
春日 貞幸 (かすが さだゆき)
通称刑部三郎。承久の乱に信濃から参陣し、北条泰時に従った。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
66 54 31 29 49 60 31 64
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
小野寺 道綱 (おのでら みちつな)
禅師太郎と称す。下野の人。上総の頼朝のもとに駆けつけた。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
56 64 34 22 52 60 20 66
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
近藤 親家 (こんどう ちかいえ) ?-?
■清盛に殺された西光の子
 平家物語に近藤六親家と名乗り登場する。阿波国板西の住人で板西氏の始祖。藤原師光(西光)の六男とされる。父・師光が1177年の鹿ヶ谷事件で殺されると阿波国へと流された。その後は平家に従属していた様子である。1185年2月屋島の戦いのため、勝浦に上陸した義経軍の前に平氏軍が立ちはだかる。これが近藤親家の軍で、少し戦った後に伊勢義盛に説得され降伏する。以後は義経の案内役を努め桜庭能遠を破るのに協力した。
 この親家だが、板西氏の歴史を辿っていくと周家と記されていることが分かる。平氏滅亡後も義経に従うものの奥州へ落ち延びる際に別れ頼朝へと降った。その後、信濃国飯田郡を治めるようになり板西氏に改める。現在でも飯田周辺の名所では板西氏の名を聞くことができる。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
71 27 64 20 65 64 50 22
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
内藤 盛家 (ないとう もりいえ)
左衛門尉。内藤六と称す。周防国の石清水別宮領遠石荘の地頭。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
41 65 25 24 40 62 26 69
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
小野 成綱 (おの なりつな)?-?
野三刑部允と称す。幕府内では随兵や流鏑馬的立役を務める。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
70 59 46 25 49 62 25 68
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
園辺 忠康 (そのべ ただやす) ?-?
■安摩忠景を助け平氏に戦いを挑む
 平家物語に登場。紀伊国の住人で園辺兵衛忠康という。1183年、淡路の安摩忠景が平氏に背き戦いを挑むも敗北し和泉国へ落ち延びた(六ヶ度合戦)。それを知った園部忠康は百騎ほど率いて安摩忠景に合流し城に立て篭るが、平教経に撃ち破られて忠景と共に京へと落ち延びた。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
66 61 46 19 63 49 28 80
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
渡辺 眤 (わたなべ むつる) ?-?
■建礼門院を助けた渡辺党の人
 平家物語に登場し、渡辺源五馬允眤という。1185年の壇ノ浦の参戦、海に飛び込んだ建礼門院を熊手で引っ掛けて寄せて助けた。渡辺眤は嵯峨源氏の流れを組み、渡辺(源)綱を始祖とする渡辺党の人である。渡辺党は摂津国渡辺津に拠点を置き、摂津源氏の郎党であった。また水軍な持ち瀬戸内海では強大な勢力でもあった。九州の松浦氏も渡辺党の出身である。
 1180年の以仁王の乱の際は源頼政に従い参戦、平氏軍と戦い敗北し、一族の多くが討死した。その後は不明だが勢力は衰えていなかった様子である。1185年屋島の戦いの際は源義経が渡辺党を味方に付け、渡辺津から出陣したと記録がある。
 渡辺党はその後も続き、戦国時代にも末裔たちの活躍が見られる。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
59 58 63 44 40 68 41 62
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
橘 兼隆 (たちばな かねたか) ?-?
■平氏に味方した備後の有力豪族
 橘兼高とも書く。また吾妻鏡にその名前が見える。橘氏は平氏に早くから取り入っていた様子だ。備後太田荘は1166年、平重衡が後白河法皇へと寄進し、橘氏を下司とした。平氏滅亡後の1186年、高野山の鑁阿が滅んだ平氏一門供養を永くしていきたいという要請を受け、後白河法皇はこの備後大田荘を高野山へ寄進し、高野山領となる。
 その後備後大田荘は高野山の荘園運営が行われるようになったが、ここで何らかの衝突があったのか、1199年、謀反の疑いがあるとして訴えられ所領を没収されてしまう。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
63 52 52 25 45 41 36 59
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
太田 光家 (おおた みついえ) ?-?
■平氏に味方して勢力拡大を図ったが
 大田光家と吾妻鏡にその名前が見える。備後の豪族橘氏の出で、橘兼隆とは同族である。備後大田荘の在地領主であり、平氏に味方し、橘兼隆と共に勢力拡大を図っていた。しかし源氏の世となった1199年、高野山から謀反の疑いがあると訴えられ所領を没収されてしまった。
 橘氏は備後方面でかなりの勢力を誇っていた豪族であった。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
58 67 23 25 49 44 33 63
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
船所 政利 (ふなどころ まさとし) ?-?
■源氏に船を献上した周防の在庁官人
 船所五郎政利という。正利とも書く。吾妻鏡に登場。周防の在庁官人(現地採用の人)で船奉行であった。船所は役職を示すもので、船の調達等々を行っていたと思われる。1185年壇ノ浦の合戦前、兵船数十艘を源義経に献上した。義経は喜び、御家人に列するという文書を与えた。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
64 45 43 18 58 72 47 58
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × ×      
トップへ戻る
富樫 泰家 (とがし やすいえ)?-?
冨樫富樫介と称す。加賀の豪族。頼朝から加賀の守護に任ぜられた。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
79 57 47 49 68 75 57 60
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
富樫 仏誓 (とがし ぶっせい)?-?
富樫泰家という。仏誓は出家して後の名乗っている。ゲームに登場している富樫泰家とは同一人物。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
64 50 55 16 60 58 65 36
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る
安芸 実康 (あき さねやす) ?-?
■源氏に味方した土佐の豪族
 土佐の人。平家物語の壇ノ浦の合戦に参加した子、実光・次郎の紹介の際、土佐国の安芸郡を治める者として登場。以後の登場は見られないが、土佐では有力な豪族・安芸氏の棟梁であった。二人の子を失い、実経に跡を継がせたようである。
 安芸氏の出自については諸説ありはっきりしていないが、蘇我赤兄の後裔とするのが有力か。安芸氏はその後戦国まで続き、長宗我部氏を苦しめることになる。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
58 72 11 45 55 60 35 37
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × ×      
トップへ戻る
安芸 実光 (あき さねみつ) ?-1185
■安芸実康の三十人力の子
 安芸太郎実光という。安芸実康の子。太郎という名から実康の長男と考えられる。平家物語では壇ノ浦の合戦の際、三十人力の剛の者として紹介、登場する。弟の次郎、郎党と共に平教経と組み合う。まず郎党は海に蹴落とされてしまい、次に実光と弟・次郎は共に首を脇に抱えられ海へと飛び込まれてしまう。その際に溺死したとされている。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
45 80 13 43 52 38 14 42
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × ×      
トップへ戻る
安芸 次郎 (あき じろう) ?-1185
■兄と共に平教経に組みかかるが
 安芸次郎実俊という。実康の子。次郎という名から恐らく実康の次男と考えられる。1185年壇ノ浦の合戦の際、兄の実光と共に剛の者として登場する。平教経に兄・実光と郎党と三人で組みかかるが、逆に腕で首を抱えられたまま海に飛び込まれ、その際溺死したとされる。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
27 64 10 19 48 38 16 60
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × ×      
トップへ戻る
宇奈木 遠隆 (うなき とおたか) ?-?
■兵糧を献じた周防の豪族
 周防の人。文献によって違うが、宇佐那木(宇佐木)上七遠隆というのが一般的。1185年、長門国赤間関から九州へ渡海しようとしていた源範頼軍は彦島の平氏に遮られ、兵糧は窮する状態で士気も低下しつつあった。そんな折に周防の豪族遠隆は兵糧を献じたとされている。後年宇佐木氏の名を聞かないが、一説に拠ると当時その勢力は大きかった様子である。現在はその名が地名として残っている。
知才 武力 優雅 勇名 菩提 加護 無常 弓術
62 53 48 14 52 58 32 57
和歌 音楽 奇略 操船 貴種      
× × × × ×      
トップへ戻る